【ニューヨーク/米国 20日 AFP】死後20年が経過したポップアートの巨匠、アンディ・ウォーホル(Andy Warhol)の創作の原動力は以前謎に包まれているが、現代のアーティストには非常に強い影響を与えており、又彼の作品は収集家からも高い人気を得ている。

■今強まるウォーホル作品の人気

 「ウォーホルには誰もが何かしらの影響を受けています。彼の創作力は自由自在だったからです」生前のウォーホルと一緒に仕事をした経験があるニューヨーク在住の画家で評論家のCarol Diehlはこう語る。

 消費社会を皮肉る、巨大なシルクスクリーンのキャンバスにキャンベル・スープを描いた作品で美術界を震撼させてから40年後の今、ウォーホルの作品は非常に求められている。

 香港の不動産王、Joseph Lau氏はニューヨークでのオークションに出品された毛沢東(Mao Zedong)の肖像画をウォーホル作品史上最高額となる1740万ドル(約20億8000万円)で落札した。

 「ウォーホル作品の値段はここ数年急上昇しており、各シーズンごと、その数字はより大きくなっているようです」クリスティーズ(Christie’s)のコンテンポラリー・アート・セールの責任者、Robert Manleyさんは語る。
 
■鋭い観察眼を持ったアーティスト

 「ウォーホルは戦後のある推移を縮図化しています」ホイットニー美術館(Whitney Museum)の学芸院長、 Donna De Salvo氏は語る。

 不思議なオーラ、自身や作品についての質問に答えない姿勢と、マンハッタンに拠点を構える彼のスタジオ「ファクトリー(The Factory)」とそこに出入りする奇妙で芸術的な人々に対する世間の注目度は一気に高まり、ウォーホル神話は煽られた。

 しかし、その話題性が彼の作品の深みや、完成度に影を落としているというもいる。

 ウォーホルは、通常の絵画やアートには使わないような写真やフィルムを使うなど、技術的な実験を非常に好んでいた。

 「彼の最も偉大なところは、アート制作の分野を本当に開拓して行ったことでした」De Salvo氏は語る。

 「写真のシルクスクリーンと絵を合わせるということは、非常に過激な方法でした。それが絵画の方向性と我々の絵画に対する考え方を変えたのです。彼は複雑ですが、メッセージはかなり分かりやすいので、何か単純なものにしてしまうことも簡単です。でも彼の作品は、それよりはるかに複雑で、単純なメッセージではありません」

 「ウォーホル71年の映画『電気椅子(Electric Chair)』は文化/消費主義/政治などにおいて、米国の良いところと悪いところを考えさせるものになっています」

 「ウォーホルが明らかに政治的な人物だったとは思いませんが、彼のアートはそうだったと思います。ダークで、しかし楽観的な米国のキャラクターや精神についての何かをウォーホルは理解していました」

 ジェフ・クーンズ(Jeff Koons)からダミアン・ハースト(Damien Hirst)に至るまで、1世代全体のアーティストは、限界を広げたウォーホルに莫大な借りがあると同氏は述べた。

 スロバキアからの移民である労働者階級の家族の下に生まれたウォーホルは1949年、故郷のピッツバーグからニューヨークに移り、雑誌と広告業者のイラストレーターとして働き始めた。

 米国の日常生活用品を描いた絵だけでなく、マリリン・モンロー(Marilyn Monroe)などのスターのポートレートでも有名になったのは1960年代のこと。

 彼が「ファクトリー」を構えたのは1963年で、この場所は直ぐに、ヒップな人々が集まるパーティー・プレイスとして評判になった。

 「ウォーホルは真の観察者でした。人々を見ることが大好きでした。『ファクトリー』はいろいろな方法で彼が観察をする機会を得る格好の場でした」

 De Salvo氏はウォーホルを親切で素敵、しかしひどくシャイな人物と回想する。

 「50年代に彼を知っていた人たちは、彼が『ファクトリー』を開けた時に関係を絶ってしまいました。物静かで愛しいウォーホルはもうそこにはいなく、彼らはそれを受け入れたくなかったのです」

 写真はドイツの展示会に飾られたウォーホルによる1986年の自画像(2006年7月18日)。(c)AFP/DDP/VOLKER HARTMANN