【ローマ/イタリア 20日 AFP】「モナ・リザ(Mona Lisa)の研究家Giuseppe Pallanti氏は13日、女性神秘の象徴であるモナ・リザが1542年7月15日に死亡し、晩年を過ごしたフィレンツェ(Florence)の修道院に埋葬されたことを解明したと発表した。

 同氏はフィレンツェの教会に残る古文書のなかに、モナ・リザの死亡の記録を発見した。記録には、「フランチェスコ・デル・ジョコンド(Francesco del Giocondo)の妻、1542年7月15日に死亡。サン・オルゾーラ(Sant'Orsola)に埋葬」と書かれていたという。19日のローマの日刊紙「レプブリカ(Repubblica)」が報道した。

 モナ・リザのモデルとされるリザ・ゲラルディーニ(Lisa Gherardini)は1479年5月に生まれ、裕福な絹の貿易商デル・ジョコンドの2番目の妻と考えられている。5人の子どもをもうけたとされる。

 フランス、パリのルーブル(Louvre)博物館が所蔵するレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)が描いたとされる日付も署名もない有名な絵画「モナ・リザ」のモデルの特定はこれまで多くの注目を集めてきた。現在では、リザ・ゲラルディーニこそがモデルだったという説が通説とされる。

 63歳で死亡したリザが埋葬されたサン・オルゾーラの修道院は、サン・ロレンツォ(San Lorenzo basilica)教会にほど近くに位置する。現在は使用されておらず廃虚となっている。

 「末娘Mariettaを尼僧にするために住まわせたのはこの修道院。リザ自身も、夫の遺志でこの修道院に住み、4年後に死亡した」と、Pallanti氏はレプブリカ紙に語る。

 モナ・リザの謎に迫る「Mona Lisa Revealed: The True Identity of Leonardo's Model」の著者でもあるPallanti氏は、フィレンツェの古文書を30年近くしらみつぶしに探し続けたという。

 ダ・ヴィンチ研究家、Carlo Pedretti氏はPallanti氏の発見を高く評価し、リザ・ゲラルディーニの墓の調査を求めている。

 「技術の進歩のおかげで科学者は彼女の身体的特徴とを把握することができ、顔面の特徴も割り出すことができるかもしれない」とPedretti氏は通信社ANSAの取材に対して述べ、この調査がリザの身元解明に「大きく貢献する」と語っている。
 写真はルーブル美術館所蔵のモナリザの肖像画(2005年4月5日撮影)。(c)AFP/JEAN-PIERRE MULLER