【3月1日 AFP】目を見張るようなくびれと美しさで戦時中の米兵を虜にした女優ジェーン・ラッセル(Jane Russell)さんが2月28日、米カリフォルニア(California)州サンタマリア(Santa Maria)の自宅で死去した。89歳。家族が明らかにした。

 ラッセルさんも参加していた同州サンタバーバラ(Santa Barbara)の児童支援団体CASAの事務局長キム・デイビス(Kim Davis)氏がラッセルさんの義娘と話したところ、ラッセルさんは子どもたちに見守られ、静かに息を引き取ったという。

■米兵を夢中にさせた映画『ならず者』

 ラッセルさんを一躍有名にしたのが、1943年の映画『ならず者(The Outlaw)』だ。当時、歯科医で受付をしていたラッセルさんが、同作のヒロインを探していた映画監督ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)の目に留まり抜擢された。

 長い足と豊かな胸がスクリーンに強調された同作は、ラッセルさんをスキャンダルの雰囲気漂う美しいハリウッド女優へと押し上げた。

 しかし、胸の谷間の映像などに懸念を示した検閲当局はヒューズ監督にカットを要求。1943年にはカット版しか公開されず、1946年に全編が公開されると大ヒットとなった。

 第二次世界大戦で海外に出兵していた若い米兵たちが、ラッセルさんのお色気たっぷりの写真を兵舎に張るようになり、ラッセルさんはセックスシンボルとなった。『ならず者』のポスターでは、ラッセルさんは胸元がはだけ、スカートが太ももまでめくれた状態で横になり、片手に銃を握っている。

■マリリン・モンローと共演

 1953年の『紳士は金髪がお好き(Gentlemen Prefer Blondes)』では、マリリン・モンロー(Marilyn Monroe)と共演し、ハリウッドでの地位を固めた。ラッセルさんの出演料はモンローの10倍だったというが、この作品をきっかけに2人の間には友情が芽生え、付き合いはその後も続いた。

 55年には続編『紳士はブルーネット娘と結婚する(Gentlemen Marry Brunettes)』が製作されるなど、出演作が続いたが、60年代になると映画女優としての活動は減少。その後は下着のCMやラスベガス(Las Vegas)やニューヨーク(New York)などの劇場に活動の場を移した。 

■女優としてのイメージとは違う私生活

 私生活では3回結婚。離婚は1回で、2度の結婚では夫に先立たれている。

 リベラルなハリウッドで活動しセックスシンボルとなったラッセルさんだが、熱心なキリスト教徒で共和党に賛同していた。18歳のときに中絶を行い子どもが産めなくなったことから、中絶には反対の姿勢を取った。1人目の夫との間に3人の子どもを養子に迎えている。

 ラッセルさんは1921年6月21日、ミネソタ(Minnesota)州生まれ。兄弟は弟が4人。後にカリフォルニア州バーバンク(Burbank)に引っ越す。退役軍人だった父親は、ラッセルさんの活躍を見ることなく46歳で死去している。(c)AFP