【11月23日 AFP】22日に80歳の生涯に幕を下ろしたフランス人振付師モーリス・ベジャール(Maurice Bejart)氏は、半世紀以上にわたり、近代舞踊の限界に挑戦しつづける一方で、バレエを一般大衆にもなじみ深いものにするために心血を注いできた。

 ベジャール氏は1927年、フランス・マルセイユ(Marseille)に生まれた。本名はモーリス・ベルジェ(Maurice Berger )だが、敬愛するフランスの劇作家モリエール(Moliere)の妻の名前にちなんで、後にモーリス・ベジャールの芸名を名乗るようになった。父親は著名哲学者ガストン・ベルジェ(Gaston Berger)。14歳の時、虚弱体質矯正のために、医師の勧めでバレエを習い始めた。

 大学で哲学を専攻した後、バレエに人生をささげようと決意。ロンドン(London)とパリ(Paris)で本格的にクラシックバレエを学んだ。

 1952年、イーゴリ・ストラビンスキー(Igor Stravinsky)作曲のスウェーデン映画『火の鳥(The Firebird)』で振付師としてデビュー。映画には本人も出演した。

 50年代半ごろには舞踊会で頭角を現し始めたが、クラシック・バレエが「一般大衆と切り離されている」ことを憂えて、近代音楽と力強く独創的なパフォーマンスを世に広めることに専心するようになった。

 その後、フランス人作曲家ピエール・アンリ(Pierre Henry)、ピエール・シェフェール(Pierre Schaeffer)とともに『孤独な男のためのシンフォニー(Symphony for a solitary man)』を作曲。「具体音楽」と呼ばれる前衛的音楽に傾倒するようになった。55年には、同作をバレエ化している。

 だが、極めて躍動的な振り付けスタイルや、踊り手に自主性を与えるやり方は、フランス国内の評論家にはあまり受け入れられなかった。59年には、ベルギーのブリュッセル(Brussels )にあるモネ劇場(La Monnaie、正式名称はRoyal Mint Theatre)に活動拠点を移している。

 ブリュッセルでストラビンスキー作『春の祭典(Rites of Spring)』を成功させた後、60年には「20世紀バレエ団(20th Century Ballet Company)」を結成。同カンパニーは25年以上にわたり、モネ劇場の専属バレエ団として活躍しつづけた。20世紀バレエ団は世界各地で遠征公演も行い、ベジャール氏は欧州大陸にその名をとどろかせるようになった。しかし、英語圏では決定的な成功を収めるには至らなかった。

 晩年になって得た世界的名声は、革新的な作品を発表しては観衆を集めるのに苦労していた駆け出し時代の評判と極めて対照的と言えよう。振付師として50年の節目を迎えた2004年、AFPのインタビューに応じたベジャール氏は、「『孤独な男のためのシンフォニー』を発表した時は、『観衆が逃げ出す』とまで言われた。だから80人も観客が来た時はうれしかった」と当時を振り返っている。

 ブリュッセル時代の代表作に、ラベル(Ravel)の『ボレロ(Bolero)』(1960年)、ベートーベン(Beethoven)の『交響曲第9番(Ninth Symphony)』(1964年)、ピエール・アンリの『現代のためのミサ(Mass for Today)』(1967年)、ストラビンスキーの『火の鳥』(1970年)がある。西洋音楽だけではなく、歌舞伎やアジア・中東音楽も取り入れた作品も発表した。

 1987年、本拠地をスイスに移し、自身のバレエ団を「ベジャール・バレエ・ローザンヌ」と改称した。

 同氏の功績は日本でも認められ、86年には勲3等旭日中綬章を受章。94年には「仏芸術アカデミー(French Academy of Fine Arts)」の会員となっている。

 ベジャール氏は22日に死去。死因は明らかにされていないが、前週、今月2度目となる心臓と腎臓の治療を受けていた。(c)AFP