【7月28日 AFP】米国人ジャズ・サックス奏者、ジョニー・グリフィン(Johnny Griffin)氏が25日、フランスの自宅で亡くなった。80歳だった。代理人のHelene Manfredi氏が発表した。死因は明らかになっていない。

 グリフィン氏は「リトル・ジャイアント(小さな巨人)」の異名を持ち、ビブラフォン奏者ライオネル・ハンプトン(Lionel Hampton)やドラム奏者アート・ブレイキー(Art Blakey)、ピアニストのセロニアス・モンク(Thelonius Monk)といったそうそうたるジャズ界の重鎮たちと多数共演した。

 亡くなった25日の夜は、米国人オルガン奏者ローダ・スコット(Rhoda Scott)氏、フランス人サックス奏者オリビエ・テマイム(Olivier Temime)氏、仏ドラム奏者ジュリー・ソーリ(Julie Saury)氏との公演を予定していた。

 自宅は仏中西部ビエンヌ(Vienne)県のMauprevoir村にあり、グリフィン氏は最後の18年間をここで過ごした。 

 グリフィン氏は、生まれ故郷の米シカゴ(Chicago)のデュ・セーブル・ハイスクール(DuSable High School)で音楽を学んだ後、「ライオネル・ハンプトン・オーケストラ(Lionel hampton and His Orchestra)」に入団。後に脱退し、ここで出会ったトランペット奏者のジョー・モリス(Joe Morris)のバンドに加わった。

 1950年代を通じ「アート・ブレイキー・アンド・ザ・ジャズ・メッセンジャーズ (Art Blakey and the Jazz Messengers)」など、様々なジャズ・コンボ(小編成バンド)で演奏。コルネット奏者ナット・アダレイ(Nat Adderley)や、サックス奏者ジョン・コルトレーン(John Coltrane)と共に録音活動を行った。こうしたコラボレーション作品の最高峰としては1957年、ブルーノート(Blue Note)・レーベルから発表された自作「ア・ブローイング・セッション(A Blowing' Session)」が最もよく知られているだろう。

 1960年代初頭にはもう一人のサックス奏者エディ・ロックジョー・デイビス(Eddie "Lockjaw" Davis)と組んで自らのグループを率いたが、1962年にフランスへの移住を決心。以後、70年代に一時期オランダでも活動したが、大半はフランスを拠点に録音、演奏活動を行った。(c)AFP