【2月20日 AFP】映画『その男、凶暴につき』『ソナチネ』『HANA-BI』などで世界的に有名な北野武(Takeshi Kitano)監督。監督業だけでなく俳優、コメディアン、テレビ番組の司会など多彩な顔を持つ同氏の新たな側面を浮き彫りした自伝がフランスで24日に発売される。本のタイトルは「KITANO PAR KITANO(キタノによるキタノ)」。フランス人ジャーナリストのミシェル・テマン(Michel Temman)氏との共著だ。

 北野氏は同書の出版を前にAFPのインタビューに応じ、幼少時代に育った土地や彼を取り巻く友人・家族、生い立ちなどを語った。

■ヤクザにならなかったのは母親のおかげ

 戦後間もない1947年に生まれた北野氏は、都内足立区の貧しい家庭に育った。賭け事と酒が好きだったペンキ職人の父親は、4人の子どもたちと過ごすことはほとんどなかったという。

 人間の暗部を描いた映画で日本の「ヤクザ」を世界に知らしめた北野氏だが、母親がいなければ自分もヤクザになっていただろうと語る。

「その地区は・・・ニューヨーク(New York)で言えばブロンクス(Bronx)みたいなところだから。・・・お袋の教育がなかったらそういう世界に入った可能性もあるし。ただ、知ってるかぎりほとんどの奴がチンピラで終わってるか、殺されてるから、悪い世界に入っても偉くはなれない土地だと思う」

 教育熱心な母親の影響で数学や科学に興味を持った北野氏は大学に進むが、学業よりもショービジネスの世界に魅せられていく。その後、浅草のストリップ劇場・浅草フランス座で芸人としてデビュー。紆余曲折ののち漫才師「ビートたけし(Beat Takeshi)」として頭角を現し、あっという間に週8本ものレギュラー番組を抱える人気テレビタレントになった。そうした中ある偶然から映画監督を引き受けるが、やがて世界的な映画監督として高い評価を受けるようになる。

■映画監督として高い評価

 批評家は北野氏を粗野で通俗的だと批判するが、同氏はこう反論する。

「傷つくよりも怒る。あまりにも無知なんで。特にスタンドアップ・コメディアンで上がってきた時の、彼らの評価の仕方と内容に対する意見がまるっきりでたらめなんで、それからずっと、あいつらは信用できないと思っている」

 監督デビュー作品『その男、凶暴につき』は絶賛され、批判する者たちを黙らせた。93年の第4作『ソナチネ』は国際的に高い評価を受ける。

 翌94年のバイク事故では九死に一生を得るが、顔面の一部が麻痺するけがをした。事故の際は真っ暗な一本道の明かりの下に倒れていたのでひかれずにすんだうえ、免許証から身元が分かり病院ですぐプロジェクトチームができたと話し、「そういう意味でよく生きていたなぁと。ちょっとこんなに物事がうまく運んだのかと」と当時を振り返る。

 カムバック後は精力的に監督業に取り組み、98年の『HANA-BI』ではベネチア国際映画祭(Venice International Film Festival)のグランプリを獲得した。

■画家としてパリで美術展も開催

 今年フランスでは、北野氏の自伝出版のほかにも、同氏に焦点を当てたさまざまなイベントが開催される。ポンピドー芸術文化センター(Pompidou Centre)では「北野武大回顧映画特集」が、さらにカルティエ財団(Cartier Foundation)現代美術館で絵画展が開かれる予定だ。

 北野氏は自身の絵画展について「あの絵をみて、趣味以上だとオレがもし言ったとしたら相当みんなに笑われると思うけど(笑)。カルティエでオレの絵を飾るということ自体が、相当まずいなと思ってるんだけど」「だから子供の絵だって言うんならいいけど、まともな画家の絵だなんて言ったら、ほんとに困る。ほんとに恥ずかしいと」と語った。(c)AFP/Gilles Campion

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