【5月27日 AFP】(一部更新、写真追加)アカデミー賞受賞作『愛と哀しみの果て(Out of Africa)』や『トッツィー(Tootsie)』の監督として知られるシドニー・ポラック(Sydney Pollack)氏が27日、米ロサンゼルス(Los Angeles)郊外の自宅で死去した。73歳。エンターテインメント情報誌バラエティ(Variety)が報じた。

 数十年にわたりハリウッド(Hollywood)で監督・プロデューサーとして活躍。ロバート・レッドフォード(Robert Redford)、メリル・ストリープ(Meryl Streep)、ダスティン・ホフマン(Dustin Hoffman)、ニコール・キッドマン(Nicole Kidman)らトップスターと組んで映画を撮り続け、数々のヒット作を生み出した。

『ひとりぼっちの青春(They Shoot Horses Don't They?)』(1969年)と『トッツィー』(1982年)で2度アカデミー賞監督賞にノミネートされたあと、1985年、ついにレッドフォードとストリープが共演した『愛と哀しみの果て』で同賞を獲得した。

 最近では2003年の『コールド マウンテン(Cold Mountain)』でプロデューサーを務め、2005年の『ザ・インタープリター(The Interpreter)』ではメガホンを取っている。アカデミー賞7部門にノミネートされた2007年の『フィクサー(Michael Clayton)』では制作だけではなく、ジョージ・クルーニー(George Clooney)と共演、プロデューサーとしても俳優としても高い評価を得た。

 クルーニーの監督・主演作『Leatherheads』にもプロデューサーとして参加していたことから、クルーニーはその死を悼みバラエティに次のようなコメントを寄せた。

「シドニーは、世界を少しだけ良くしてくれた。映画を少しだけ良くしてくれた。そして夕食でさえも良くしてくれた。偉大な人物に感謝の言葉を贈る。世界は彼の死をひどく悲しむだろう」

■社会派映画監督だったが興行的にも成功

 1934年7月1日にインディアナ(Indiana)州ラフィエット(Lafayette)に薬剤師の息子として生まれた。当初は歯科医を目指したが、17歳のときニューヨーク(New York)に移り住み、役者で演出家でもあったサンフォード・マイズナー(Sanford Meisner)氏のもとで演技を学び、その後、演技指導教員となる。

 米陸軍で2年間過ごした後、監督として数々のテレビシリーズをてがけ、1965年の『いのちの紐(The Slender Thread)』でハリウッドデビューを果たした。

 社会派の映画監督として知られ、恋愛や政治的な要素を絡めた内容の作品で定評がある。1980年代にかけての作品で批評家から高い評価を受け、興行的なヒット作にも恵まれた。

 1970年代には、ジェーン・フォンダ(Jane Fonda)を主演に大恐慌時代を描いた『ひとりぼっちの青春』や1973年の『追憶(The Way We Were)』などを手掛け、続いて80年代には『トッツィー』、『愛と哀しみの果て』を世に送り出した。(c)AFP