【5月9日 AFP】カラフルなジグザグ模様のテキスタイルで世界的なファッションブランドを築きイタリアのニット界を担ってきた起業家オッタヴィオ・ミッソーニ(Ottavio Missoni)さんが9日、イタリア北部にある自宅で息を引き取った。92歳だった。オッタヴィオさんの家族が発表した。

 オッタヴィオさんは1953年に妻のロジータ・ジェルミニ(Rosita Jelmini)さんと「ミッソーニ(Missoni)」を創業。そのデザインは、富裕層をはじめ、故ジャクリーン・ケネディ・オナシス(Jacqueline Kennedy Onassis)や英国のキャサリン妃(Catherine, Duchess of Cambridge)らをはじめとする著名人に愛されてきた。

■五輪選手から戦争捕虜、ブランド設立へ

 1921年2月11日、当時のユーゴスラビア(Yugoslavia)で生まれたオッタヴィオさんは、イタリアに移住後、陸上競技でキャリアをスタートした。第二次世界大戦前には国内でチャンピオンとなり、1948年に行なわれたロンドン五輪に参加。戦争中には、エル・アラメインで戦い、戦争捕虜となった経験もあるが、その後、妻となるロジータさんとの出会いも五輪だった。

イタリア北部でテキスタイル業を営んでいたロジータさんとオッタヴィオさんは、新たなことに挑むため「ミッソーニ」を立ち上げた。1960年代に急速に評判を得たが、モデルにブラをさせなかったことで伊フィレンツェ(Florence)で開催されるピッティ・ファッションショーを追い出されるという苦い経験もあった。控えめで陽気な性格だったオッタヴィオさんは、あるインタビュアーがドレスの幾何学パターンについて尋ねると「とても単純なことですが、うちの機械は直線しか描けないんです」と語っていた。

■革新は続く

 しかし同社は、米ディスカウント大手「ターゲット(Target)」とのコラボレーションでマス・マーケット向けに拡大して成功を収めるなど、ここ数年でもその革新に対する評判を失ってはいない。スコットランドのエディンバラ(Edinburgh)やクウェート(Kuwait)にもデザイナーズホテルを展開している。

 オッタヴィオさんは今年初め、彼の長男ビットリオ・ミッソーニ(Vittorio Missoni)ほか5名を乗せた小型機がベネズエラのリゾート、ロスロケス(Los Roques)諸島を離陸してから消息を絶つという悲劇に見舞われた。集中的な調査でもその結果を得ることができず、58歳のビットリオさんは死亡したとみられている。(c)AFP