ブルーノ・フリゾーニ「靴」への想いを語る
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【12月6日 MODE PRESS】自身のブランドを展開すると同時に「ロジェ・ヴィヴィエ(Roger Vivier)」のクリエイティブ・ディレクターを務めるデザイナー、ブルーノ・フリゾーニ(Bruno Frisoni)が12月初旬、ニューヨークでトーク・セッションを行った。
■ヴィヴィエの功績
フリゾーニは進行役を務めた服飾美術館のパメラ・ゴルビン(Pamela Golbin)を相手に、ヴィヴィエの功績について「80年代における彼の存在がどれほど重要だったか、皆は忘れつつある。彼は18世紀と60年代のスタイルを合わせ靴に自由をもたらした。あまり知られていないけれど、彼はディオールとダブルネームのラベルをシェアした唯一の人物なんだよ」と語る。
「私が2004年に加わった当時、ヴィヴィエを若い顧客に向けたブランドへと再生させる必要があった。と同時に、ヴィヴィエの姿をもう一度蘇らせ、ブランドの歴史を人々に再び伝えなければいけなかったんだ」
■ラクロワとの出会い
フリゾーニは昔クチュリエかプレタポルテのデザイナーになることを夢見ていたという。「クリスチャン・ラクロワに会う前、あまりアクセサリーの仕事に満足していなかった。けど、ラクロワがファッションの楽しさを教えてくれた。不躾で悪趣味であることを恐れるなともね。ファッションをやる上で悪趣味であることは良いことなんだよ」とフリゾーニ。
そして自分に影響を与える人物として、クリスチャン・ラクロワ(Christian Lacroix)とランバン(Lanvin)のアルベール・エルバス(Alber Elbaz)の名を上げた。この2人とは、過去にコラボレーションも行っている。
■クチュール・シューズ
フリゾーニは昨年ヴィヴィエからオートクチュール・コレクションを発表。見事な手作業で仕上げられる靴と鞄は、小型車程度の値段がする。「学生だったとき、クチュールは絶滅するといわれていた。今から27年前の話だよ」。価格帯への考慮については「クチュールの場合はノー。プレタの場合はイエス。もしくは、みんなが僕のためにそうしてくれている」と語った。
■「ヴィヴィエ」と「フリゾーニ」
話は、フリゾーニが8年前に立ち上げた彼自身の名を冠したブランドにも及んだ。ヴィヴィエと比較すると、彼のブランドは「若々しくて、ロック。だけど、ユーモアがある」という。「ヴィヴィエはよりマーケットに沿ったものだけど、フリゾーニは自由だね」。
■米仏英の靴の違いは?
各国の靴を比較して「パリと比べると、ニューヨークはより堅くて、とてもシックで、緊張感があるよね。パリはもっと“ネグリジェ”っぽい感じ。生足にサンダルを履いて、シフォンのドレスを着て、レストランやクラブに行くのは、ロンドンの女性だけじゃないかな」とフリゾーニ。
■自分の靴も「女性用」
自分でデザインするなら鞄よりも靴のほうが好き。理由は「靴は彫刻みたいだからね」とのこと。さらに、メンズよりもレディースの靴の方が好きだというフリゾーニは、自分でもレディース用の靴を履く。「サイズは43ハーフ。簡単にみつかるよ」と笑いながらコメント。
■ラ・ルドゥートとのコラボも??
フリゾーニは、フランス大手の通販会社ラ・ルドゥート(La Redoute)からコラボレーションのオファーを受けていることも明かした。ラ・ルドゥートは、過去にラクロワとコラボレーションした衣類・家具の販売を行っている。「オファーについて考えている。でも、同じ商品に多くの金額を払っている顧客たちのことを考えたら、もしやるとしても別の名前でやるべきかもね」とフリゾーニ。この発言に対して、会場の聴衆からは「イニシャルのB.F.はどう?」という声が上がった。
■会場との質疑応答
Q:ロジェ・ヴィヴィエの最大の貢献とは?
F:靴に自由をもたらしたこと
Q:最大のライバルは?
F:マノロ・ブラニク(MANOLO BLAHNIK)かな。彼の名が私に靴をもたらしたからね。彼は現在のシューズ界におけるイヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)だよ。マノロと競えたらいいね。
Q:最大のマーケットは?
F:米国、アジア、ロンドン。あとは、今ならロシア。
Q:新進のシューズ・デザイナーに対するアドバイスは?
F:とても、とてもハードな仕事だよ。特に製造過程はね。一番素晴らしいのはイタリア人だよ。フランス人と比べて彼らは「イエス」と言うからね。あと、すごく頑固になる必要がある
■すべては“誘惑”
トーク・セッション終了後、次の会場に急ぎながらフリゾーニは「すべては“誘惑”の一言につきるね。誘惑すること、誘惑されること。それを止めたら、終わりだよ。だから、沢山靴を買うか、美容院に行くことだね」とコメントした。(c)Fashion Week Daily/ MODE PRESS
■ヴィヴィエの功績
フリゾーニは進行役を務めた服飾美術館のパメラ・ゴルビン(Pamela Golbin)を相手に、ヴィヴィエの功績について「80年代における彼の存在がどれほど重要だったか、皆は忘れつつある。彼は18世紀と60年代のスタイルを合わせ靴に自由をもたらした。あまり知られていないけれど、彼はディオールとダブルネームのラベルをシェアした唯一の人物なんだよ」と語る。
「私が2004年に加わった当時、ヴィヴィエを若い顧客に向けたブランドへと再生させる必要があった。と同時に、ヴィヴィエの姿をもう一度蘇らせ、ブランドの歴史を人々に再び伝えなければいけなかったんだ」
■ラクロワとの出会い
フリゾーニは昔クチュリエかプレタポルテのデザイナーになることを夢見ていたという。「クリスチャン・ラクロワに会う前、あまりアクセサリーの仕事に満足していなかった。けど、ラクロワがファッションの楽しさを教えてくれた。不躾で悪趣味であることを恐れるなともね。ファッションをやる上で悪趣味であることは良いことなんだよ」とフリゾーニ。
そして自分に影響を与える人物として、クリスチャン・ラクロワ(Christian Lacroix)とランバン(Lanvin)のアルベール・エルバス(Alber Elbaz)の名を上げた。この2人とは、過去にコラボレーションも行っている。
■クチュール・シューズ
フリゾーニは昨年ヴィヴィエからオートクチュール・コレクションを発表。見事な手作業で仕上げられる靴と鞄は、小型車程度の値段がする。「学生だったとき、クチュールは絶滅するといわれていた。今から27年前の話だよ」。価格帯への考慮については「クチュールの場合はノー。プレタの場合はイエス。もしくは、みんなが僕のためにそうしてくれている」と語った。
■「ヴィヴィエ」と「フリゾーニ」
話は、フリゾーニが8年前に立ち上げた彼自身の名を冠したブランドにも及んだ。ヴィヴィエと比較すると、彼のブランドは「若々しくて、ロック。だけど、ユーモアがある」という。「ヴィヴィエはよりマーケットに沿ったものだけど、フリゾーニは自由だね」。
■米仏英の靴の違いは?
各国の靴を比較して「パリと比べると、ニューヨークはより堅くて、とてもシックで、緊張感があるよね。パリはもっと“ネグリジェ”っぽい感じ。生足にサンダルを履いて、シフォンのドレスを着て、レストランやクラブに行くのは、ロンドンの女性だけじゃないかな」とフリゾーニ。
■自分の靴も「女性用」
自分でデザインするなら鞄よりも靴のほうが好き。理由は「靴は彫刻みたいだからね」とのこと。さらに、メンズよりもレディースの靴の方が好きだというフリゾーニは、自分でもレディース用の靴を履く。「サイズは43ハーフ。簡単にみつかるよ」と笑いながらコメント。
■ラ・ルドゥートとのコラボも??
フリゾーニは、フランス大手の通販会社ラ・ルドゥート(La Redoute)からコラボレーションのオファーを受けていることも明かした。ラ・ルドゥートは、過去にラクロワとコラボレーションした衣類・家具の販売を行っている。「オファーについて考えている。でも、同じ商品に多くの金額を払っている顧客たちのことを考えたら、もしやるとしても別の名前でやるべきかもね」とフリゾーニ。この発言に対して、会場の聴衆からは「イニシャルのB.F.はどう?」という声が上がった。
■会場との質疑応答
Q:ロジェ・ヴィヴィエの最大の貢献とは?
F:靴に自由をもたらしたこと
Q:最大のライバルは?
F:マノロ・ブラニク(MANOLO BLAHNIK)かな。彼の名が私に靴をもたらしたからね。彼は現在のシューズ界におけるイヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)だよ。マノロと競えたらいいね。
Q:最大のマーケットは?
F:米国、アジア、ロンドン。あとは、今ならロシア。
Q:新進のシューズ・デザイナーに対するアドバイスは?
F:とても、とてもハードな仕事だよ。特に製造過程はね。一番素晴らしいのはイタリア人だよ。フランス人と比べて彼らは「イエス」と言うからね。あと、すごく頑固になる必要がある
■すべては“誘惑”
トーク・セッション終了後、次の会場に急ぎながらフリゾーニは「すべては“誘惑”の一言につきるね。誘惑すること、誘惑されること。それを止めたら、終わりだよ。だから、沢山靴を買うか、美容院に行くことだね」とコメントした。(c)Fashion Week Daily/ MODE PRESS