【パリ 21日 AFP】フランス・パリ市内の服飾美術館で、スペイン出身のデザイナー、クリストバル・バレンシアガ(Cristobal Balenciaga)の功績を辿った「バレンシアガ(BALENCIAGA)回顧展」が開催されている。
■独学で学んだ服作り
クリストバル・バレンシアガは、流れるようなラインと裁断の技術によって、女性のファッションに劇的な変化をもたらした。彼の死後34年たった今、その功績を称えるべく約20年間にわたる作品の数々を展示した回顧展がパリ市内で開かれることになった。
バレンシアガは1895年、スペインのバスク地方で漁師の息子として生まれた。彼は、当時フランスで人気のあったココ・シャネルのようなデザイナーのドレスを購入し、それを自らの手でバラバラに分解することで服の構造を独自に学んだ。「バレンシアガが自身のクリエーションにおいて、最も熱意を注いだのは『服の構造に』です」と、服飾美術館のパメラ・ゴルビン館長。
■戦時中も続けた「挑戦」
ちょうど23歳の時、最初のブティックをサンセバスチャンにオープン。彼の服はたちまちスペイン上流社会の人々の目にとまり、支援を受けることに成功した。しかし、1937年のスペイン内乱の勃発により、当時展開していた3店舗を閉鎖し、フランスへ引っ越すことを余儀なくされた。こうして彼は、1968年の引退までの長い期間、ファッションの中心地に身を置くこととなる。
厳粛さがますます世間に浸透する戦時中も、彼は自身のブランドのために新しい挑戦をし続けた。人生をかけて服を作ることに挑戦し続けたのだ。「戦時中は、当然資材不足だった。しかし、彼はその中で最善を尽くし作品を作ったのです」と美術館館長のゴルビン館長は語る。
戦後になると、バレンシアがの作り出す服はより流れるようなラインを強調するようになった。クリスチャン・ディオールが発表した「ニュールック」とは対照的に、バレンシアガが提案したのは体のまわりを包みこむようなデザインだった。背中から足下にかけて流れるようなラインのドレス、シルクをギャザーによって何重にも包み込むドレス・・・。巧みなカッティング技術は多くのデザイナーたちから尊敬の念を受けた。.
■故郷からの影響
バレンシアガの生まれ故郷であるスペインは、クリエーションにおいて多大な影響を与えている。例えば、若いスペインの王女のコスチュームから影響を受けたボレロジャケットや、美しく刺繍が施されたガウンなど、伝統的な要素を巧みに取り入れたものも多い。また、水玉模様や抽象的な花のテキスタイル、ストライプやチェックなどのプリント地なども好んで使用した。
1968年、バレンシアガはパリのブティックを閉鎖。その後、1972年に亡くなるまで、生まれ故郷のスペインで余生を過ごしたという。引退してからは、インタビューや取材を受けようとはしなかった。それまでに彼が作り出してきた数々の服から、人々がなにかを感じとってくれること願っていたのだ。
「デザイナーとしての身の引き方や、彼が追及した服への純粋な思い。彼のデザイナー人生は、行き着くところに到達し完成したのでしょう」と、ゴブリン館長。同回顧展は、2007年1月28日まで開催される。(c)AFP
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