【9月30日 AFP】フォードの大衆車「モデルT(Model T)」がデビューしてからまもなく100年。米デトロイト(Detroit)の工場から初めて出荷された瞬間から、この車は米国の自動車史を大きく塗り替えた。

 モデルTは、移動手段を馬車や路面電車に頼ってきた一般大衆の目を、「一般道路を縦横無尽に行き来する」自由に向けることに成功した最初の車だ。ごみごみした都会のアパートを抜け出し、郊外に広々とした家を構える自動車通勤族も増え、都会の様相は一変した。
 
 ヘンリー・フォード(Henry Ford)が考案した流れ作業方式は、製造工場に革命をもたらした。また、工場労働者の賃金を倍増したことで、同社の賃金が新しい基準となり、中産階級が増大した。軽量フレームと柔軟なサスペンションが、低コストで高いパワーを実現し、でこぼこ道でもスムーズな走りを可能にした。

 ヘンリー・フォード博物館の学芸員、ロバート・ケーシー(Robert Casey)氏は、「モデルTは、それまでおもちゃ扱いされていた自動車を、便利な道具へと変革した」と語る。実際、高価で運転しづらく信頼性も低かった初期の自動車は、富裕層が持つおもちゃのようなものだった。

 1908年10月1日に初登場したモデルTは、低価格と容易な操作ゆえに、ただちに大ヒット。翌1909年5月には、7月生産予定分まで売り切れてしまったため、受注を一時中止せざるをえなかった。

■組み立てラインの導入で生産性を大幅に向上

 ヘンリー・フォードは、コスト削減と生産性向上への飽くなき追求を続けた。組み立て工程を流れ作業化し、完全に互換性のある部品を使用し、部品を内製化するなどして、当初の価格825ドル(約8万8000円)を1925年までにたった260ドル(約2万8000円)に押し下げることに成功した。

 1913年までに、ミシガン州ハイランドパーク(Highland Park)工場に流れ作業方式を導入。1台のシャーシの組み立て時間を従来の14時間からたったの1.5時間まで短縮することができた。

 ところが、生産が急激に拡大されるなか、1つの問題が持ち上がってきた。組み立てラインでの単調な繰り返し作業は、作業員を疲労させ、退職者があとを絶たなかったのだ。フォードは1914年1月に解決策を見いだした。作業員の日給を倍額以上の5ドルにするとともに、1日の労働時間を8時間としたのだ。

 ケーシー氏によると、ほかの自動車各社もこの賃金体系にならう必要性を感じ、国中で工場労働者の賃金が上昇した。非熟練労働者も自動車を購入できるほどのお金を稼ぐことができるようになったため、モデルTの市場が新たに開拓されることとなった。

 フォードはその後、欧州、アジア、中南米にも工場を建設。モデルTは、1921年までに、世界で製造される自動車台数の約57%を占めるに至った。「モデルTはいつだって最も安い車だったから、独占状態を維持できた。『みんながフォードを持っているのに、それ以外の車を持ちたいなんて誰が思えるのか』といった風潮もあった」(ケーシー氏)

 モデルTは、累計1500万台以上が販売され、1927年に「モデルA」の登場とともに引退した。この販売台数記録は、1972年のフォルクスワーゲン(Volkswagen)「バグ(Bug)」まで破られることはなかった。(c)AFP/Mira Oberman