2004年1月7日、ドイツ・ベルリン(Berlin)で開催された「トラビ・サファリ(Trabi Safari)」で、「トラバント(Trabant)」に乗る人。(c)AFP/JOHN MACDOUGALL
【11月13日 AFP】東西ドイツを分断するベルリンの壁(Berlin Wall)崩壊後、自由化の波にのまれ淘汰されつつあった旧東ドイツの国民車「トラバント(Trabant)」が、生産開始50周年を迎えた今年、カルト的人気を博し、復活を果たそうとしている。
トラバント、愛称トラビ(Trabis)の第1号車は、1957年11月7日にザクセン州(Saxony)ツウィッカウ(Zwickau)の旧東ドイツ国営企業VEBザクセンリンク(VEB Sachsenring Automobilwerke Zwickau)で誕生した。トラバントはドイツ語で「衛星」の意味。
箱形の車体には、鉄鋼輸入を減らすため繊維強化プラスチックが使われた。後部座席の窓は開かず、2サイクルエンジンは騒音がひどい上、多量の排気ガスを放つ代物だった。最高時速は112キロと、西ドイツの自動車メーカーBMWやメルセデス・ベンツ(Mercedes-Benz)のドライバーにとってはがらくた同然だった。構造も単純で、「トラバントを作っているのは2人。1人が組み立て、もう1人が張り付けているのさ」というジョークが流行するほどだった。
それでも旧東ドイツの住民は、トラバントに乗ってブルガリアやハンガリーへ夏季休暇に出かけた。東欧の国々は、プロレタリアの香りに惹かれてか、この車を輸入していた。
■ノスタルジアをかきたてるトラバント
この車が西側に知られるようになったのは、1989年11月のベルリンの壁崩壊の時だ。国境検問所には、排気ガスを勢いよく吐き出すトラバントの長蛇の列ができ、米ニューヨーク・タイムズ(New York Times)紙をはじめとする各国の新聞がこの光景を1面で報じた。
その後、西ドイツで洗練された車を目の当たりにした東ドイツの住民の中には、所有していたトラバントをわずか数マルクで手放す人もいた。
トラバントの生産は1991年に停止され、「失われた過去」のシンボルとなった。だが、旧東ドイツの人々はやがて「西欧の資本主義がすべての面ですぐれているわけではない」ことにも気付き始める。1991年にはアイルランドのロックバンドU2がアルバム『アクトン・ベイビー(Achtung Baby)』のジャケットにトラバントの写真を使用。2003年の映画『グッバイ、レーニン!(Good Bye Lenin)』にも登場、ノスタルジアを一層かきたてた。
そして今、トラバントは西欧でも東欧でも収集家が熱い視線を向けている。こうした中、トラバントのミニチュアモデルを生産するドイツの玩具メーカー、ヘルパ(Herpa)は、トラバントの復刻版の製作を計画。現在、生産に協力してくれるメーカーを探しているという。(c)AFP/Emsie Ferreira





