【3月31日 AFP】福島第1原子力発電所で次々と起こる原発危機の悪夢は、沿岸部にある別の原発周辺の地域社会にも恐怖を投げかけている――大震災と巨大津波によって東北地方の太平洋沿岸部が壊滅した11日以降、宮城県の石巻市と女川町にまたがる女川原子力発電所(Onagawa Nuclear Power Plant)は停止したままだ。

 福島第1原発の北方120キロ、牡鹿半島の小さな湾に位置する女川原発は、津波の際には軽微な被害だけで済んだ。操業する東北電力(Tohoku Electric Power)は、小規模な火災が発生したが、3基ある原子炉はどれも無事で炉心は低温を保っており、放射線モニターの測定値も極めて低いと発表した。

■離れるか、留まるか、苦渋の選択を迫られる住民たち

 しかし、東北電力の発表だけで十分な安心を得られていない人たちもいる。折り重なるように続く福島の危機的状況に動揺し、また広範囲に及ぶ被災からの復興にようやく取り掛かり始めながら、住民たちは故郷を離れる事態に備えて各自、決心を固めている。

 祖母が行方不明で、家はなくなってしまったと言う高校生のオノサキコウキさん(18)は、高さ15メートルの津波が女川町を襲った時、隣町にいた。自分たちをここに留めるものは何も残っていないから、街を離れると言う。それに女川原発に何かが起きれば隠れる場所はない。残る人よりも去る人のほうが多いだろうと思っている。

 町独自の放射線測定モニターがなくなってしまったことも、不安をいっそう煽った。7台あったモニターのうち4台は津波で破壊され、3台は停電で動かなくなった。しかし東北電力は自社のモニターは稼働しており、住民への危険はないと強調している。

 避難所でボランティア・グループの先頭に立ち、支援物資を配るアベケイコさん(70)は津波で死を覚悟した。しかし、その記憶が残っていても、女川の町も人も好きだからここに留まりたいと言う。そして、原発と共に生きていく覚悟もできている。福島と同じことがここに起きないようにとただ祈るばかりだと言う。

 津波で家を押し流された住民約200人が、女川原発自体の施設内に避難している。他へ行くところがないと言う人もいれば、原発施設は安全だからと言う人もいる。しかしAFPの取材班は、施設内に入ってこの人たちに取材する許可を得られなかった。

■長年続く原発の是非をめぐる議論

 津波が日本を襲う前、全国では50を超える原子炉が稼働していた。そのすべてが海辺に建っている。そして2030年までにさらに14基の原子炉の建設計画がある。

 原発推進の一端には、資源に乏しい日本のエネルギー安全保障を強化したいとの思惑がある。また政府は、向こう10年間で1990年比25%削減が掲げられている温室効果ガスの排出削減目標を達成する手段として、原子力エネルギーに期待を寄せても来た。

 しかし今回の福島原発危機を待たずして、原発利用については長いこと賛否両方の主張が対立してきた。賛成派は日本には他にほとんど選択肢がないと言い、原発は地元に産業と雇用をもたらすと説いてきた。反対派はリスクが大きすぎると訴えてきた。その訴えはこの数週間の出来事で大きくクローズアップされた。

 福島原発の放射能漏れの打撃は、飲料水から食物連鎖へと広がり、福島周辺の広域の生産物が日本全国、そして海外の店頭からも消えた。

■エネルギー源や災害対策を見直すのは「いま」

 原子力がクリーンなエネルギー源だとは言えない証拠だと、原発反対運動を担う1人、菅原慎悦さんは語る。地域復興のプロセスの中で今こそ、新しいエネルギー源について考える時だと言う。

 女川町は東北電力に対し、津波に対する防護を強化し、住民のパニックを避けるためにできる限り現在の原発の状況をオープンにしてほしいと要請している。同町広報担当者は、現時点では行方不明者の捜索と生存者の支援に全力を尽くしているが、この段階が過ぎれば、原発の安全性について論じることになるだろうと語った。

 女川を襲った津波の高さと強度を推定するため現地入りした早稲田大学、海岸環境・防災研究室の柴山知也(Tomoya Shibayama)教授は、津波に対する防護を全国の原発で見直すべきだと強く主張している。以前はこれほどの規模の津波が起こるとは思われていなかったため皆、行動に移したがらなかったが、今は学ぶべき教訓があると訴える。そして、予測を超えることが起こり得ることを思い知った今こそ、前提を見直すべきだと語った。(c)AFP/Shingo Ito