【8月9日 AFP】メキシコの麻薬王ナサリオ・モレノ(Nazario Moreno)容疑者の死亡が発表されてから、はや3年が経った。だが、モレノ容疑者が毎週日曜に麻薬組織の新メンバーを教育し、昨年にはパーティーを主催したなどと語られるなど、モレノ容疑者の死亡を疑問視する見方が高まっている。

 モレノ容疑者は、ミチョアカン(Michoacan)州を牛耳る麻薬組織「ラ・ファミリア・ミチョアカーナ(La Familia Michoacana)」のボスだった。同容疑者について、メキシコ政府は2010年12月10日、遺体が見つかっていないにもかかわらず、同州アパトシンガン(Apatzingan)で連邦警察との数時間におよぶ銃撃戦で死亡したと宣言した。根拠は銃撃戦中のいくつかの状況と得られた情報だとされた。

 だが、昨年12月に就任したエンリケ・ペニャニエト(Enrique Pena Nieto)大統領のもとで現在、生きていれば43歳になる「最も狂った男」の死亡を確認する調査が進められている。

 現政権の報道官はAFPに、「あいつ(モレノ容疑者)は連邦警察に殺害されたことになっている。だが、それは前の政権でのことだ」と調査の理由を説明した。  モレノ容疑者が死亡したとされた後、「ラ・ファミリア・ミチョアカーナ」は解体を始め、これが分派の麻薬カルテル「テンプル騎士団(Knights Templar)」創設につながった。カルテル名は「ラ・ファミリア」の宗教的なイメージから発想を得たもので、組織の車両には本家テンプル騎士団のマークである赤い十字架が描かれている。

 蛮行を働く「テンプル騎士団」から街を守ろうと、ミチョアカンの住民らは自警団を結成。政府も5月、数千人規模の軍を投入した。

 一方、ミチョアカンの住民の中に「テンプル騎士団」はモレノ容疑者が率いていると主張する人たちがいる。ある地元警察官も、組織と警察との戦闘の中心地となっている山岳地帯ティエラ・カリエンテ(Tierra Caliente)にモレノ容疑者が潜伏しているとの機密情報があると語る。

 自警団のリーダーの1人は、昨年12月に田舎町アギリア(Aguililla)にある家でモレノ容疑者が催した夕食会に、ほかの60人とともに招待されたと証言する。「断るという選択肢はなかった」

 この自警団リーダーの話によれば、招待者たちは定刻通りに到着。食事が振る舞われ、音楽やダンスなどの余興が催されて3時間ほど経ったころ、武装した警護役の男たちを従えた「エル・チャヨ」が姿を現した。

 招待客らは携帯電話の電源を切るよう求められ、夜明けと共にモレノ容疑者が去るまで帰宅は許されなかった。

 モレノ容疑者は現在、キューバ革命でゲリラ戦を率いたアルゼンチン出身のエルネスト・チェ・ゲバラ(Ernesto Che Guevara)とメキシコ革命の英雄パンチョ・ビリャ(Pancho Villa)に敬意を表し、「エルネスト・ビリャ・モレノ(Ernesto Villa Moreno)」と名乗っているという。

 また、自身の部下たちは、敵対する麻薬密売組織セタス(Zetas)のメンバー殺害に長けていると自慢していたという。

 13歳で殺し屋として雇われたというフアン・マヌエルさん(18)によると、モレノ容疑者や「テンプル騎士団」幹部らは毎週日曜、新人メンバーらを集めて組織の教義を教え込んでいる。フアン・マヌエルさんが最後にモレノ容疑者を見たのは、2か月前だという。(c)AFP/Leticia PINEDA