【11月20日 AFP】(一部修正)カンボジアの旧ポル・ポト(Pol Pot)政権時代の大量虐殺を裁くカンボジア特別法廷(Extraordinary Chambers in the Courts of CambodiaECCC)は19日、キュー・サムファン(Khieu Samphan)元国家幹部会議長を逮捕、戦争犯罪と人道に対する罪で訴追した。これでECCCの訴追を受ける旧政権幹部は5人となった。

 前週にはイエン・サリ(Ieng Sary)元副首相と妻のイエン・チリト(Ieng Thirith)元社会問題相が逮捕された。これに先立つ今年9月には、ヌオン・チア(Nuon Chea)元カンボジア人民代表議会議長が逮捕されている。200万人が犠牲になったともいわれる1975-79年に政権を握った旧ポル・ポト政権幹部の生存者の責任を問う。

 カンボジア政府と国連(UN)が共同運営する特別法廷で、被告として裁かれる旧ポル・ポト政権主要幹部は以下の通り。

■キュー・サムファン被告(76)

 ポル・ポト政権下の幹部会議長。フランスで教育を受けた急進派。ポル・ポト政権では外交も担当した。1998年、ヌオン・チア元人民代表議会議長とともに新生カンボジア政権に投降した。

 2004年、著書『Cambodia’s Recent History and the Reasons Behind the Decisions I Made(カンボジア現代史の裏で下したわたしの決断)』を執筆。この中で自身を「知識人的愛国者」と呼び、ポル・ポト政権下で行われた惨劇については何も知らなかったと弁明した。これまでに行われたインタビューでも、大量虐殺への関与を一貫して否定している。

 逮捕されるまでは同国北西部パイリン(Pailin)に在住していた。

■イエン・サリ被告(82)

 ポル・ポト政権下の副首相(外交担当)。ポル・ポト元首相の義理の兄弟で、同派の「ブラザー・ナンバー3(Brother Number Three)」と呼ばれた。

 1979年に親ベトナム政権による裁判で大量虐殺の罪で有罪判決を受けるが、1996年にポル・ポト派を離脱して新生カンボジア政権に投降、シアヌーク国王の恩赦を受けた。以後、首都プノンペン(Phnom Penh)に在住した。心臓疾患を抱えており、治療のため隣国タイのバンコク(Bangkok)を頻繁に訪れていた。

■イエン・チリト被告(推定75)

 ポル・ポト政権下の社会問題相で、ファーストレディーとも呼ばれた。伝統的生活への回帰を提唱したともいわれる。

 パリ(Paris)で英文学を学ぶ。イエン・サリに出会い急進的な政治運動に身を投じる。1990年代のポル・ポト派消滅後も強硬姿勢を崩さなかった。

■ヌオン・チア被告(81)

 1975年から79年のポル・ポト政権下でポル・ポト元首相の右腕を務めた。同派の「ブラザー・ナンバー2(Brother Number Two)」の異名を持つ。元首相の死亡などによる同勢力の弱体化に伴い1998年、新生カンボジア政権に投降。フン・セン(Hun Sen)首相の恩赦を受けて釈放され、パイリン近郊の自宅で自由に暮らしていた。

 高齢に加えて健康悪化説も出ているが、ポル・ポト政権下で行われた大量虐殺では中心的役割を果たしたとされ、法廷で事実を明らかにする意向を示している。

■カン・ケ・イウ(Kang Kek Ieu)被告(65)

 通称ドッチ = Duch。プノンペンにある悪名高いトゥール・スレン(Tuol Sleng)政治犯収容所の元所長。同収容所では少なくとも1万6000人が拷問を受けた後、殺害された。ポル・ポト派に加わる以前は数学教師だった。

 特別法廷設置前の1999年5月から軍刑務所に収監されていたが、7月に同法廷の拘置施設に移送された。逮捕前の取材では、収容所で行われた虐待行為などに対する監督責任を認めており、進んで裁判を受ける意向だといわれる。

 特別法廷で裁かれる見通しの被告の中では、比較的年齢は若く健康状態も良好とされる。キリスト教に改宗した。(c)AFP