【5月11日 AFP】「助けを呼んだけれど、誰も聞いてくれなかった。音はしたけれど、誰も私の声を聞いてくれなかった」

 だが、自分が働く工場が崩壊してから17日目、ようやく救助隊員によってその声が聞かれた瞬間、レシュマ(Reshma)さん(18)は一躍ヒロインとなり、世界史上まれに見る産業災害に打ちのめされたバングラデシュには、一筋の希望の光が差した。

 事故が起きた4月24日、首都ダッカ(Dhaka)近郊サバール(Savar)にあるビル内の縫製工場では3000人以上の従業員が働いていた。死者数が1000人を超えた今月10日、当局は遺体回収作業は終盤に差し掛かっていると発表していた。

 だがその時、助けを呼ぶ弱々しい声が聞かれた。「私の名前はレシュマ。助けてください。お願いです、助けて」

 救出作業を行った軍関係者はSomoyTVに、「最初にパイプが動くのが見えた。砂利やコンクリートをどかすと、彼女が立っていた」と語った。「彼女に食料を与え、必ず救出すると約束した。救出作業は45分かかった。軽量ハンマーと手のこぎり、ドリルを使って助け出した」。救助隊の1人によると、レシュマさんがいた空洞部分には、楽にはい回れるだけのスペースがあったという。

 救出作業はテレビで生放送された。地表に現れたレシュマさんは、待機していた救急車にすぐに運び込まれたが、その途中で集まった人々に向かって弱々しく微笑んだ。救助隊によると、体重はかなり減っているようだが、負傷した様子はないという。

 1000人を超える死者を出したビル崩壊事故を、レシュマさんがどうやって生き延びたのかは、まだはっきりしていない。救助隊によると、乾燥食品とボトル入りの水1本で命をつないでいたが、食料は2日前に尽きてしまっていたという。ぺしゃんこになったビルにできた狭い空洞の中で、レシュマさんは他に3人の生存者を見つけた。一人、また一人と息絶えていく中、レシュマさんは闘い続けた。

 バングラデシュ北部の遠く離れた村に住む家族は、レシュマさん生存の知らせに狂喜している。「奇跡だ。生きて見つかるという希望は全て失っていた。ダッカやサバールの病院を全部まわった。遺体安置所に行って、回収された遺体を全部確認した」。兄のザヒドゥル・イスラム(Zahidul Islam)さんはAFPの取材にこう語った。「そうしたら今日の午後、レシュマと言う名の女性が生きて発見されたというニュースを聞いた」

 イスラムさんによれば、レシュマさんの人生は闘いの連続だった。

 レシュマさんは、インドとの国境に近いディナジプル(Dinajpur)の農村地帯の村で、貧しい家族の末っ子として生まれた。兄によると、16歳の時に村の男性と結婚したが、夫はその後、レシュマさんの元を去った。2年後、単身でダッカに上京し、縫製工場で働き始めた。

「再婚するように私たちは頼んだが、家族を支えたいと言って断られた」(兄のイスラムさん)。レシュマさんは家族に仕送りができるように毎日のように残業し、月給はバングラデシュの縫製工場従業員の平均よりも少し多い5000~6000円ほどだった。

 地元紙ダッカ・トリビューン(Dhaka Tribune)のZafar Sobhan編集長は「彼女は、バングラデシュの最も良い部分を体現している。信じがたい苦難に直面した時の回復力、勇気、強さ、そしてどんなに可能性が低くとも、決してあきらめないという意思の強さを」と語った。(c)AFP