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NYパンクを支えたライブハウス主人、ヒリー・クリスタル氏死去

  • 2007年08月30日 12:21 発信地:ニューヨーク/米国
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2005年8月31日、ワシントンスクエアパーク(Washington Square Park)で行われたイベント「Save CBGB’s」でスピーチをするCBGBオーナーのヒリー・クリスタル(Hilly Kristal)。(c)AFP/Getty Images Paul Hawthorne

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【8月30日 AFP】米国パンク精神の拠り所として知られたニューヨークのライブハウス、CBGBの創業者でオーナーであったヒリー・クリスタル(Hilly Kristal)氏が28日に肺がんにより死去したと29日、ニューヨークの地元テレビ局が報じた。

■CBGBの歴史

クリスタルは1973年、当時ニューヨーク市内で荒廃した地域だったイーストビレッジ(East Village)のバーでCBGBを始めた。店の名前は、当初アコースティック音楽を楽しむライブハウスとして始まったため、カントリー、ブルーグラス、ブルース(Country, Bluegrass and Blues)の頭文字から取られた。その後、当時無名だった若手ロックバンド、テレビジョン(Television)とラモーンズ(The Ramones)に出演を許可したことをきかっけに、アンダーグラウンド音楽とパンクロックの中心地となっていった。また、クリスタルは出演バンドにオリジナル曲の演奏を要求したため、才能が未熟な若者たちを魅了した。

■ロック界の助産婦

現在では有名になったパティ・スミス(Patti Smith)と「パンクのゴットファザー」と呼ばれるラモーンズのバンド活動は、ブロンディ(Blondie)やトーキング・ヘッズ(Talking Heads)と同様にこのライブハウスから始まった。ニューヨークタイムズ紙(New York Times)はクリスタルを「ロック界の助産婦」と呼んでいた。

■クリスタルの思い

「60年代後半と70年代前半のロックミュージックの要素に入っていたディスコ音楽、長く続くソロ、他の複雑なもののやり方は、不満がたまったロックに純粋なパワーのみなぎる新しいリズムや音の探求に一役かってくれた。その新しいロックンロールはCBGBで形になっていくようだ。私たちはこの音楽をストリート・ロック、そしてパンクと呼んだ。ありのままで来て、そして自分の好きなことをしよう。それがロックンロールだ」とクリスタルは以前経営していたライブハウスのウェブサイトに記している。

賃料の大幅な引き上げにより、ライブハウスはパティ・スミスの演奏を最後に2006年10月に閉店した。クリスタルは家主の要求する月6万5000ドルの家賃を支払う余裕はなく、可能ならばラスベガスに拠点を移したいと語っていた。

(c)AFP

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